人間を見つめ続けた風景画の巨匠 ピーテル・ブリューゲル

画家

今回の記事では、16世紀のネーデルラント地方を代表する画家 ピーテル・ブリューゲルを紹介します。

ブリューゲルは、同じ北方の先人であるボスやパティニールの影響と、若き日にルネサンスを通過したイタリアへの旅行経験を後の作風を形成する土台としています。
「農民画家」と呼ばれ、農民たちの生き生きとした姿を描いた画家としてのイメージが強いですが、それは晩年の数年間であり、作風は短期間で多様に変化していきました。

今回の記事では、ブリューゲルが若い頃の版画制作を経て、本格的に油彩画を描き始めた1557年頃から晩年までをその作風の変化と共に紹介します。

ちなみに、上の絵は「画家と鑑識家」と名付けられたブリューゲルの素描作品です。左の人物がブリューゲル自身を描いているとして、自画像のように紹介されることもあるようですが、それは全くの誤解であるとする説もあるそうです。
本ブログでは普段より管理人の独断と偏見によるアーティストやその作品の紹介をさせていただいていますが、このようにブリューゲルは450年も前の時代のアーティストですので、その解釈に諸説あることが多く、制作年代や作品タイトルが人によって異なることも多々あります。あくまでもそれを前提として紹介していきますので、ご承知おきください。

また、例によって、独断と偏見に基づいた作品ごとの評価も記載します。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。

ブリューゲルは1520年代の後半に生まれ、1569年に没したとされています。
1551年に画家として組合に登録した記録が残されており、これが画家としてのキャリアのスタートと言えそうです。その後、イタリアへ数年間に渡って旅をして、その過程で素描や版画を制作しています。いわばこれがブリューゲルの下積み時代です。
1554年頃にアントワープへ帰国すると、下絵画家として活動を始め、1557年頃には本格的に油彩画を制作するようになります。
それから没するまでは、わずか10年余りと短い期間でしたが、その間にも彼は次々に作風を進化させ、数多くの傑作絵画を描いています。
本記事ではその10年余りを6つの時代に分け、代表作と共に紹介していきます。

①「寓意風景画」時代

ブリューゲルは聖書や神話に主題をとり、寓意的な描写を忍ばせながらも、あくまで風景を主として描きました。そこにはすでに、まるで神様が下界を見下ろしているかのような「俯瞰の視点」、前景・中景・遠景を描き分ける「奥行きのある分割構図」という風景画の先人たちから吸収して咀嚼したブリューゲルお得意の構図が表れています。

種まく人の譬えのある風景/1557年

有名なキリストの説話を主題としながらも、その人物は前景の中で埋もれ、むしろ遠景の山々に視線はそそがれています。主題をさりげなく配置するブリューゲルお得意の構図の典型的な作品です。

評価☆☆☆

イカロスの失墜のある風景/1558年

ギリシア神話から主題をとり、太陽に近づきすぎたがために海に墜落するイカロスを描いた作品。主題のイカロスは足しか描いてもらえていません。後の傑作「バベルの塔」にも通じる主題であり、作風としてもブリューゲルの特徴が詰め込まれていることが分かります。後に模写だと判明した本作ですが、オリジナルが見られないからこそ、より一層想像を掻き立てられます。

評価☆☆☆☆☆

ナポリの港の景観/1560~1563年

旅行で訪れたイタリアの港町を描いていますが、まるで鳥になったような視点です。婉曲した遠景が滑空しているかのような迫力を生み出しており、余計にそんな印象を与えています。

評価☆☆☆★

②「百科事典的群像画」時代

16世紀はルネサンスに象徴される通り、ヒューマニズムの時代です。凝り固まったキリスト教的価値観から脱却し、人間本来の存在が肯定され、1500年にはエラスムスの「格言集」が出版されたように人が持ち得る知恵にも注目が集まっていたそうです。そんな中でブリューゲルは百科事典を可視化したような群像画を描きます。いわば民衆のニーズに合わせて流行に乗った作風と言えるかもしれません。この時期に獲得した画面の隅々にまで至る「緻密な描き込み」は、後の作品にも大いに活かされることになりました。

ネーデルラントの諺/1559年

85個ものことわざを体現した人々の姿が所狭しと描かれた、ブリューゲル初期の代表作。ことわざ自体を知らなくても笑えるコミカルな様子の中にも人間の行いを風刺するような描写があり、何度見ても新しい発見があります。

評価☆☆☆☆

謝肉祭と四旬節の喧嘩/1559年

飲み食いを楽しむ謝肉祭と、禁欲を続ける四旬節。正反対な行事を一枚の絵に閉じ込めたことで生まれるギャップが笑いを誘います。当時の人々の身なりや暮らしが生き生きと伝わってきます。

評価☆☆☆

子供の遊戯/1560年

100種類近い子どもの遊びが描かれた、ほのぼのとする作品。現代の子どもですら、身に覚えのある遊びが見つかることに、時代も国も超えたおもしろさを感じます。

評価☆☆☆

③「残酷幻想画」時代

16世紀の中期は、15世紀に活躍した画家 ヒエロニムス・ボスの再評価が始まっていたそうです。ボスと言えば、従来のキリスト教的絵画を超越し、幻想的でグロテスクな世界観の中に、生と死や罪と罰といったモチーフを描いた画家です。ブリューゲルの元にも、そんな流行に伴ってボス風の版画の下絵の依頼が舞い込んだそうです。ブリューゲルはそこで身に着けたボス風のタッチを自分なりに咀嚼し、自身の作品に反映させました。

悪女フリート/1562年

地獄の門のような口が開き、地上をはい回るクリーチャーを女たちが押さえつける様はまさに地獄絵図です。タイトルには男勝りの女性に対する風刺的な意図を感じますが、絵を見る限りではむしろ勇ましさへの畏怖が伝わってきます。

評価☆☆☆

死の勝利/1562年

人々に襲いかかる死神のような骸骨たち。首を切り裂いたり、吊るしたり、あらゆる方法で命を奪っており、さながら死の博覧会です。遠景に目を移すと、船が沈み、煙が上がっており、より絶望感を煽ります。

評価☆☆☆★

反逆天使の転落/1562年

天上から渦を巻くように堕ちていく堕天使たちは、生き物のような姿で描かれ、かえって生々しいグロテスクさを感じさせます。隅々まで描きこまれているものの、ブリューゲルにしては奥行きが浅く平坦な印象です。

評価☆☆★

サウルの自殺/1562年

剣の上に倒れこんで自害する主役よりも、押し寄せる圧倒的な群衆に目を奪われます。足音が聞こえてきそうな迫力はブリューゲル作品中でも随一です。

評価☆☆☆

④「宗教風景画」時代

ブリューゲルは時代のニーズに沿って絵画制作した経験を経て、初期の寓意的なメッセージを持つ風景画へと回帰します。得意の「俯瞰の視点」と「奥行きのある分割構図」はそのままに、聖書からの一場面をモチーフとした作品を制作。「緻密な描き込み」をしてきたからこその、中景・遠景まで人も風景も見どころが詰まった作品を連発します。ブリューゲルがもっとも脂の乗っていた時期と言えるかもしれません。

エジプトへの逃避途上の風景/1563年

初期の作風を強く想起させ、「種まく人~」の構図をセルフパロディするかのような画面構成で、遠景の大気感が目を引きます。

評価☆☆☆

バベルの塔/1563年

おそらくはもっとも有名なブリューゲルの作品であり、もっとも有名なバベルの塔を描いた絵画です。構図、アングル、緻密な描写、寓意的な主題と彼の得意技がこれでもかと詰め込まれたブリューゲルのフルコース的な最高傑作です。塔の建設は左右でアンバランスな進行になっており、到底完成しそうには見えません。それがより一層、人間の愚かさを際立たせています。

評価☆☆☆☆★

バベルの塔/1563~1568年

以前に描かれた塔よりも高く、強固で、威厳を感じさせます。カメラは少し近づき、見上げるような角度へと変化しています。塔の赤さと雲の黒さからは、よりちっぽけになった人間へ罰を下す直前のような緊張感が伝わってきます。

評価☆☆☆☆

十字架を担うキリスト/1564年

中央にキリスト、その近くに手を引かれるシモン、前景に嘆くマリア、遠景に処刑場と場面設定をしっかり描きながら、むしろ視線は祭りのような喧噪を生む人々に注がれている印象です。歴史的事件の際でも、実際の群衆はきっとこうだったのだろうと空想が広がります。

評価☆☆☆☆

ベツレヘムの嬰児虐殺/1566年

殺された幼児があまりに残酷だからと、その部分は後年上描きされてしまったR指定絵画。主題を台無しにする良識者による規制は数百年前からあったようです。

評価☆☆☆★

ベツレヘムの人口調査/1566年

前景で描かれる主題よりも、例のごとく中景の雪上の遊びと遠景の氷上の遊びに視線が注がれています。雪景色の奥に沈む夕日が印象的です。

評価☆☆☆

雪中の東方三博士の礼拝/1567年

ブリューゲル自身何度も描いた定番の場面を玉のような雪が舞う中に描き出した美しい異色作。前景が排除されたことで、まるで望遠レンズで覗き見ているような感覚が生まれています。荒いタッチはより一層、雪中の視界の悪さを感じさせます。後年、ブリューゲルの息子による模写では、なんとこの美しい降雪が描かれなかったそうです。

評価☆☆☆☆★

⑤「農村風景画」時代

聖書を題材とした絵画を描きながらも、ブリューゲルの興味は農村に暮らす人々とその風景へと移っていきます。必殺のアングルと構図を活かしながら、牧歌的な情景を描くようになったのです。農民たちの喜怒哀楽を覗き見る神のような視点は、バベルの塔を建てようとした人々へ向けられた視点とは異なる温かみを感じさせます。

季節画(連作)/1565年

アングルを自在に操りながら、時には豊作の喜びを楽観的に、時には厳しい寒さの悲哀を切なく、農村の移り行く季節に農民たちの浮き沈みする感情を乗せて、見事に描き分けています。

評価☆☆☆☆

鳥罠のある冬景色/1565年

のどかな冬景色の中、しかけられた鳥罠とそれに近づく鳥たちの間のスリルは、まるでいつ割れるとも知れない氷の上で無邪気に遊ぶ子供たちと対比されているようです。

評価☆☆☆★

⑥「農民風俗画」時代

最晩年、ブリューゲルの作風は劇的な変化を遂げます。これまでの代名詞だった「俯瞰の視点」と「奥行きのある分割構図」を離れたのです。奥行きが浅くなった分、「緻密な描き込み」も控えめになりました。そして描いたのは農民たちの生き生きとした姿で、まるでその場にいるかのような臨場感はこれまでのブリューゲルの絵画にはないものでした。そしてこの時期の作風により、ブリューゲルは「農民画家」と呼ばれるようになったのです。

農民の婚姻/1568年

ブリューゲル晩年の代表作。対角線の構図で遠近感を出しているものの、以前の風景画と比べると奥行きは浅くなっています。人々の表情には結婚を祝う喜びよりも、食事への欲求が強調されている印象を受けます。

評価☆☆★

農民の踊り/1568年

こちらも晩年の代表作。享楽的な雰囲気が強調され、飲み、食い、踊る農民たちが、やはり低い視点で描き出されています。しかし、彼らの営みへの共感は、俯瞰で描いていた時代の方がむしろ感じられたような気がします。

評価☆☆☆



さいごに

いかがでしたか?
画家として新たな地平を切り開いた矢先にこの世を去ったブリューゲル。彼がもっと長く生きていたら果たしてどんな絵を描いたのか、想像が膨らみます。
日本でも定期的に展覧会が開かれるブリューゲル。その際にはぜひ足を運んでみてください。

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