人間の本質を探究した孤高の映像作家 スタンリー・キューブリック 2/4

映画監督

映画監督、スタンリー・キューブリックについて、今回はその作品を読み解く上でのポイントを紹介します。

キューブリックの作品に共通するテーマを1つあげるなら「人間の愚かさ」、キューブリックの作品づくりに共通するスタンスを1つあげるなら「シニカルな視点」だと私は思います。

「人間の愚かさ」とそれを捉える「シニカルな視点」。この2つのキーワードがキューブリック作品を理解するヒントとなります。

「人間の愚かさ」

キューブリック作品では、金、性欲、権力、自己顕示欲、暴力的衝動、あらゆる欲望に突き動かされ、身を滅ぼして行く人々が描かれています。ストーリーのベースは原作から拝借し、その設定の中で愚かな人々の顛末を描くのです。

いずれのストーリーでも、欲望がいつも登場人物たちの頭の中を埋め尽くし、直線的な行動へと駆り立てます。それは繊細な感情の機微ではなく、原初的な衝動の暴発に見えます。個人の内面を掘り下げるのではなく、登場人物を誰でもなく、かつ誰でもなりうるキャラクターとして描くことで、物語に風刺的な要素が生まれ、ある種の寓話かのような印象すら与えています。

「シニカルな視点」

欲望に支配され、破滅へ向かう人々をキューブリックは皮肉るように、シニカルな視点で描きました。「なぜ人間はこんなにも愚かなんだ!」と怒りを持って糾弾するのでも、「愚かな人間はもう救いようがない、、」とネガティブに絶望するのでもありません。「だって人間ってこんなものでしょ」と冷めた視線を向け、嘲笑うのです。

人間は世界の支配者でも、神でもない。広大な宇宙の中にあるたった一つの星の中で、何十億年という途方もない時間の流れの中で、たまたま一時期繁栄した生物である。しかし、それなりに文明を築き、苦悩しながら必死に生きている。キューブリック作品からはそんな世界観、人間観を感じます。

喜劇王チャップリンの残した言葉にこんなものがあります。

「人生は近景で見れば悲劇だが、遠景で見れば喜劇だ/Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

キューブリックの物語り方には、まさにこの言葉が当てはまります。当人にとっては壮大な物語であったり、劇的な出来事であったりすることを、傍から笑いながら見ている。そんなスタンスなのです。

映像技術面が語られることの多いキューブリックですが、「形式はあるが中身がないエイゼンシュテインよりも、形式はないが中身があるチャップリンを選ぶ」と語ったのは有名な話です。彼はそのチャップリンの言葉通り、当人たちにとっての悲劇を遠景から喜劇として描きました。それはキューブリックが残したこんな言葉にも表れています。

「暗闇がどんなに広大でも、私たちは自分の光を放つべきだ/However vast the darkness,we must supply our own light.

この言葉は彼が「人間の愚かさ」をネガティブに、悲観的に捉えておらず、むしろその愚かさを人間誰しもに共通するものとシニカルに認め、受け入れながら、それを乗り越えていこうとする積極的ニヒリズム的なスタンスを表していると思います。

愚かな人間の物語を、シニカルに眺めながら、それを乗り越えていくことを肯定する。それをキューブリックの基本スタンスと捉えると、彼が作品を通じて一貫したメッセージを発し続けていたことが分かります。



いかがでしたか?
今回の記事では、キューブリック作品を読み解くポイントについて紹介しました。
次回の記事では、キューブリックの技術的功績について紹介していきます。

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