世界一残酷で世界一ユニークな絵本作家 エドワード・ゴーリー 2/2

作家

今回の記事では、エドワード・ゴーリーの絵本の中からおすすめの作品を時系列で紹介します。

ゴーリーの絵本が日本で訳され、出版され始めたのは彼の死後のことで、生前は日本ではほとんど彼の作品に触れることはできなかったようです。しかし近年では原画展が開催されるなど、「大人の絵本」として注目を集めており、幸いにも現在では20冊以上の作品を日本語訳と共に読むことができます。

うろんな客/1957年

ゴーリー初期の代表作。
ペンギンのような謎のキャラクターは愛らしくもあり、不気味でもあります。この”うろんな客”は、とある一家にある日突然現れて、住み着いたかと思うと、口も利かずに不可解な行動をとったり、いたずらめいたことをしでかします。あらゆるメタファーに解釈できるこの物語ですが、学生時代に読むと、最後のページの「17年」という急に具体的な時間経過に、突然自分のことを指さされたような気分になったのを覚えています。

評価☆☆☆☆★

不幸な子供/1961年

どこまでも救いのない少女の運命を描いた傑作。
恵まれた暮らしから一転、少女は不幸のどん底に転げ落ちていき、その過程には一筋の光もさすことはありません。さらに絶望に突き落とすような結末には、この運命を悲劇にすらしてくれない冷たさがあります。その徹底した突き放しぶりは、ゴーリー自身が後に「やりすぎた」と語ったほど。ただ、一番恐ろしいのは、このストーリーが現実離れしたダークファンタジーではなく、現実世界で十分に起こり得る展開であるということです。

評価☆☆☆☆☆

ギャシュリークラムのちびっこたち/1963年

ゴーリーの代表作であり、アルファベットブックの傑作。
AからZまでをイニシャルにした子どもたちが、あらゆる方法で、それも多くは苦しみを伴うような方法で死んでいきます。恐ろしいのはそのどれもが特殊な死に方ではなく、起こり得るものであるところ。映画やテレビの物語の中では死と縁遠い子どもたちですが、現実にはいつだって死と隣り合わせなのです。韻を踏んだ言葉選びも素晴らしく、ぜひ原文も合わせて楽しみたい作品。

評価☆☆☆☆

思い出した訪問/1965年

ストーリーにはっきりとした起承転結があり、メッセージが明確で、しかもそれが皮肉や婉曲表現をを介さずに割とストレートに伝わってくる点において、異質なゴーリー作品です。不穏さを感じる冒頭からは予測がつかないほど、せつなさを残す結末が印象的。分かりやすさとほどよい暗さは、ゴーリー初心者の入門編として最適です。

評価☆☆☆

優雅に叱責する自転車/1969年

謎めいたタイトルや、なぜかいくつも章が欠落した構成はシュールでユニークです。しかし、設定と語り口、物語の展開、きちんとした結末は、ゴーリーには珍しく、いかにも絵本らしいものです。背景の描きこみがあっさりとしているのも、いわゆる「ゴーリーっぽさ」が薄い要因かもしれません。ゴーリーはそんなことはないと言うかもしれませんが、子どもにも安心して読ませられる数少ないゴーリー絵本の一つです。

評価☆☆★

題のない本/1971年

タイトルがないこの本は、物語の筋がないどころか、固定された視点の中で、意味不明な擬音のような単語が並べられ、得体の知れない生き物が現れ、消えていくだけの作品です。
しかし、固定カメラだからこそ生まれる見えない部分のおもしろさが際立ち、意味不明だからこそ生まれる謎の単語のリズム感がくせになります。意味を求めるよりも、そのリズム感に身を任せて楽しむのが正しいと感じる、ナンセンスの極みとも言うべき佳作。

評価☆☆☆★

華々しき鼻血/1975年

副詞は文末に配置する英語文法を利用し、すべてのページで韻を踏みまくる、ユーモラスなアルファベットブック。ダークさは薄めなので、物足りなく感じるかもしれません。独特すぎる言葉選びと、間の抜けた絵の組み合わせは、ゴーリー作品の中でもっとも笑えると思います。最後のページは、ゴーリーの風貌を知っている人ならば思わずニヤリとしてしまう見事なオチです。

評価☆☆☆★

蒼い時/1975年

犬のようなバクのような、謎の生き物二人組。彼らの会話を断片的につなぎ合わせたような、ナンセンス絵本。会話の前後の文脈がないので、それらがどういった意味で発せられたのか、読者にはわかりません。しかしだからこそ、彼らの言葉がアフォリズム化し、妙に哲学的な響きをもって聞こえてくるのです。「すべてがメタファーとして解釈できるわけじゃない」という一節は、この作品のみならず、ゴーリー作品すべてに対する、読者へのメッセージのような気がします。

評価☆☆☆☆

おぞましい二人/1977年

実際に起こった事件に衝撃とインスピレーションを受けたゴーリーが制作した後期の代表作。
注目すべきはやけに詳細な朝食のシーン。特異な境遇で育ち、暮らして生きた二人が、どこにでもいる人間なのだと感じさせるありきたりなメニューに寒気を覚えました。ゴーリー自身もっとも頭をひねった部分だと語っています。「特に理由もなく疑われなかった」というシーンでも、二人の表面上のノーマルさが強調されており、事件後のニュースのインタビューで近隣住民が「そんな人には見えなかった」と語る光景が頭に浮かび、じんわりとした恐怖を感じさせます。

評価☆☆☆☆



いかがでしたか?
たかが絵本と思わずに、普段絵本を読まない人にこそ、まずは一冊手に取ってみていただけたら幸いです。

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