繊細な感性で饒舌に語る思春期の葛藤 J・D・サリンジャー

作家

今回の記事では、アメリカの作家 J・D・サリンジャーを紹介します。

サリンジャーは若者の精神的葛藤や思索を瑞々しい感性で描き、50~60年代に活躍した、20世紀アメリカ文学を代表する作家の一人です。

1919年、ニューヨークに生まれたサリンジャーは20歳頃には雑誌に短編が掲載されるなど、若くしてその文才を発揮していました。

しかし太平洋戦争が勃発すると陸軍へ入隊し、ヨーロッパの戦地へ赴きます。戦場での過酷な経験はサリンジャーの心に少なからぬ傷跡を残しました。戦後、彼は神経衰弱と診断され、入院することになります。

そんな中でもサリンジャーの創作意欲は衰えず、むしろこの経験を活かして作品を書き上げていきます。除隊後すぐ雑誌に短編が掲載されるようになり、作家としての人生を再び歩み始めます。

1951年には決定的な作品となった「ライ麦畑でつかまえて」を発表。その後数十年に渡って売れ続ける大ベストセラーとなり、サリンジャーは一躍時代を代表する作家として名を上げたのです。

彼はその後も短編や中編を続々と発表。異なる作品間に共通する人物やその話題を登場させ、共通した世界観の中で作用し合う人々を描きました。

その登場人物の多くは若者であり、欺瞞に満ちた大人の社会に直面し、傷つき葛藤する彼らの心理を脱線を繰り返しながらも瑞々しく描き出すサリンジャーの饒舌な語り口は若者から絶大な支持を集めました。

しかし、1965年に発表した「ハプワース16、1924年」を最後に、作家業から事実上引退。
2010年に91歳で老衰のため息を引き取るまで、隠居生活を送りました。

今回の記事では、そんなサリンジャーのおすすめ作品をレビューと共に時系列で紹介します。
最高評価は☆×5つ。★は0.5点分です。

若者たち/1940年4月

サリンジャーにとってのプロデビュー作。
一組の男女を中心にパーティでの若者たちの様子を描いていますが、二人はそれぞれ気もそぞろで、不毛なコミュニケーションが繰り返されます。
悪意のない見栄と欺瞞に満ちた若者たちと、噛み合わない会話は後の作品でも繰り返し描かれるモチーフとなりました。

評価☆☆

最後の休暇の最後の日/1944年7月

サリンジャーが後に発表することになる名作「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールドの兄ヴィンセントが登場していますが、今作ではまだその内面が深く掘り下げられることはありません。
サリンジャーの思想は語り手の独白によって語られることが多く、他にも誰かへの熱心な説得や不可解な行動からの推察、内面的思考の中での吐露から伺い知ることができます。
今作ではヴィンセントの友人ベイブの一瞬の感情の発露によって、二つの戦争の間にある負の連鎖を糾弾しています。

評価☆☆☆

このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/1945年10月

「最後の休暇の最後の日」で登場したヴィンセントを主人公とした作品。
弟のホールデンが戦地で行方不明になったことで精神的に不安定になっている中、部下を連れてダンスを楽しみに向かっているが何人かには相手がいないことを気に病んでいる心理が描かれています。残酷な決断を下さなければならない瞬間が近づいていることへの不安と、行方が分からず生きているかもわからない弟を心配する不安とが混沌としています。

評価☆☆★

ぼくはちょっとおかしい/1945年12月

「ライ麦畑でつかまえて」に登場する主人公の少年ホールデンを主人公据えた作品。
同作にも流用されることになるスペンサー先生宅訪問シーンと、薄暗闇での妹フィービーとの会話シーンで構成されています。
ホールデンのキャラクターはまだ毒気が薄く、世の中や周りの人々をインチキだと糾弾するのではなく、自分がおかしいのだと心の中で何度もつぶやきます。強気な語り手でありながら、自己矛盾や見栄を含んでいるからこそ、内面の思春期的不確かさを体現していたキャラクターは、今作ではまだ不安定なだけの少年なのです。

評価☆☆☆

バナナフィッシュにうってつけの日/1948年1月

前半に妻と母親によって電話越しに繰り広げられる俗っぽい会話と、後半に夫と少女の間で交わされるあまりにもイノセントな会話。それぞれの会話からにじみ出る価値観と住む世界。そのギャップは鮮烈で、彼を絶望させるのには十分だったのかもしれません。
サリンジャーが描く大人と子どもの間の会話は、示唆的でありながら、その意味は判然としません。ただ、そこには子どもを一人前の一人の人格として尊重し、敬意を払う大人の姿があり、その対等さから生まれる違和感が何とも言えないおかしさと愛らしさを感じさせるのです。

評価☆☆☆☆★

コネティカットのひょこひょこおじさん/1948年3月

想像上のボーイフレンドが消えても、すぐに次を作り出す無邪気かつ残酷な娘の発想に、今は亡き昔の恋人への感傷を呼び起こされる母。女性二人のとりとめのないお喋りから、突然の感情の爆発で迎えるエンディングが印象的です。

評価☆☆

対エスキモー戦争の前夜/1948年6月

無意識で人に不愉快さを与える振る舞いを受け、自らの振る舞いを見直すお話。友人とタクシー代をめぐってケチ臭いいさかいを起こしてしまい、友人の家で彼女を戻り待つ羽目に。そのわずかな間に起きる二つの不愉快なコミュニケーション。微妙に噛み合わない会話は後の「フラニー」を想起させ、このそこはかとない不愉快さが巧みです。

評価☆☆★

笑い男/1949年3月

まだ恋愛に疎い少年の目から映し出される年上の男性への尊敬のまなざし、二人の微妙な関係の変化。男性の心境がバスの中で語られる笑い男の物語に投影されており、大人の恋愛の機微は分からなくても、その感情を少年たちがしっかりと感じ取る感受性を持っている結末は美しく感動的です。

評価☆☆☆

小舟のほとりで/1949年4月

タイトル通り、小舟のほとりでの親子の会話劇。ふさぎ込む人とそれを根気強くはげます人という構図は、「ゾーイー」を思い起こさせます。この物語の母親はゾーイーほど饒舌ではなく、ほどほどに脱線しながらも、息子の心を解きほぐしていきます。この脱線での大人と子どもの無意味なやり取りこそ、サリンジャーの瑞々しい感性の真骨頂です。
ラストの一文には、子供心にも敬意を払う誠実な母親の優しさが込められています。

評価☆☆☆☆

エズミに捧ぐー愛と汚辱のうちに/1950年4月

前半のませた子どもとの愛らしい会話はサリンジャー得意の世界観で、無邪気な弟の存在や主人公の発言が省略されることで、殊更にイノセントな雰囲気が強調されています。
後半の終戦直後のパートでは、主人公は戦争体験によって精神的に衰弱した姿で描かれます。そこに漂う鬱々とした無気力感は怒りでも絶望でもない、戦争が終わっても一生消えることのない心の傷の描写として印象的です。
それは前半の記憶をささやかながらも美しいものとして際立てています。そして一方で、そんな美しい思い出を記憶の彼方へと追いやる戦争の過酷さと悲惨さを想像させるのです。

評価☆☆★

愛らしき口もと目は緑/1951年7月

自分本位で図々しい電話の主と、理性的で寛容なベッドの男。2人の噛み合わない会話劇は、終盤2度目の電話で急展開を見せます。優しさの裏にある自己保身と裏切りと自責の念、図々しさの裏にあった強がりと寂しさ。2人の男たちからあふれ出す感情が交錯する一瞬のクライマックスはとてもドラマチックです。

評価☆☆

ライ麦畑でつかまえて/1951年7月

世界中で何千万人ものティーンエイジャーの思春期ならではの葛藤に寄り添ってきた10代のバイブル的名作。
お世辞と建前だらけの大人の社会をインチキな嘘っぱちだと軽蔑する少年は、それが生きていくためには必要だと理解している自己矛盾に滑稽なほど無自覚です。それこそがこの物語のおもしろさであり、ティーンに思春期を乗り越えさせる不思議な力の秘訣なのかもしれません。
終盤登場するセントラルパークに実在のメリーゴーランドは、動き続けているようで、ぐるぐる回って元の場所に戻ってきます。これは作中の少年の動きそのものであり、思春期のモラトリアムを象徴しているように思えます。
そして、それに乗る妹を見守りながら幸せな気持ちになったのは、それこそが彼がなりたかったライ麦畑の捕まえ役だったからかもしれません。

評価☆☆☆☆☆

ド・ドーミエ=スミス青青の時代/1952年5月

回想形式で語られる物語は軽妙かつユーモアにあふれています。語り部である主人公の自分の中の理想を人に対して押し付けがちな性質や、身分を偽りそれなりの人物と思われようとする行動は「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンを思い起こさせます。
終盤での神秘的な体験は、インスピレーションの到来を抽象的に表現したもののように感じられました。これをきっかけに主人公は自分の理想を人に押し付けることをやめます。青の時代を卒業して大人になった瞬間、それは運命や宿命をありのままに受け入れ、流されるように生きていくようになった瞬間でもあるような気がします。

評価☆☆☆

テディ/1953年1月

手帳の記述や会話を通して天才少年が語る人間観や人生観には、サリンジャーが傾倒していたという東洋哲学の影響が確かに感じられます。自らの最期を予言し、それが現実となったことを示唆する結末がショッキングですが、彼の思想に沿うならばこれは予言ではなく、起こり得るあらゆる可能性の内の一つが起こったにすぎないのかもしれません。

評価☆☆☆

フラニー/1955年1月

恋人同士の二人の会話はどこか噛み合わず、価値観の違いが浮き彫りになっていき、フラニーは気分が悪くなります。しかし、なにより彼女を苦しめたのは彼氏の高圧的で攻撃的な態度ではなく、出演した演劇において自覚した自分のエゴでした。
思春期を終えるための成長痛的苦しみを会話劇の中で表現した佳作です。

評価☆☆☆

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/1955年11月

花婿である兄の逃亡により、台無しになった結婚式。その直後に花嫁側の参列者と狭く暑苦しい車に乗り合わせた気まずさ。その様子をどこかコミカルな会話と映像的な描写で描いたサリンジャー後期の中編。
その兄こそがかつて「バナナフィッシュにうってつけの日」に登場し、強烈なインパクトと謎を残したシーモアであり、彼にまつわる会話からその対外的な評価と彼の日記の抜粋からその内面的思考が明らかにされます。
サリンジャーらしいイノセンスへの共感は、今作では狂騒に巻き込まれることのない小柄な老人に対して向けられています。
一団に芽生えていく奇妙な連帯感とあっけない解散が残す狂騒の後の寂しさが印象的です。

評価☆☆☆★

ゾーイー/1957年5月

「フラニー」の2日後の出来事を兄ゾーイーを中心に描いた物語。
フラニーが苦しむ問題に対し、ゾーイーは脱線を繰り返しながらも一つの解決策を示して見せます。その際の有名な電話越しの会話は映画的な場面設定で、光景が目に浮かぶようです。
後に「フラニー」と合わせて刊行され、サリンジャーの代表作となりました。

評価☆☆★

さいごに

いかがでしたか?
晩年は表舞台から姿を消し、謎めいた生涯を送ったサリンジャーですが、彼が20数年の作家生活で描いた思春期の若者の繊細な感情は、彼がその敏感な感性が衰える前に筆を置いたことでさらに神格化され、時代を経ても若者のバイブルとして共感を呼び続けています。
思春期特有の感情の記憶が鮮やかなうちに、ぜひサリンジャーの名作を手に取ってみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました